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ソングライターとして。

今日は割とマジメに書こうと思います。
ずいぶん前に”感情ヒコウ”の感想をいただいて、

  seamileの感性を、もっと他の方面に向けたほうが良いと思うな。
  見た感じ「愛」じゃん。悪くないケド他も見てもらいたいな。

という部分が気になったんですが、
うまく言葉にできなくてレスしてなかったので、今日こそしたいと思います。
the real rocker: Kairi のソングライティングの根幹を成す話題なので、
長いですが、興味のある方はぜひ↓をクリックお願いしますm(_ _)m






実は同じようなツッコミを今までにも何度か受けたことがあります。
初めて指摘されたのは中学の時、Music Engineerにいた時です。 cf.)”About Me
ラブソングとして俺がまったく意識していない曲を聞いて、
「・・・これ誰を想って作った曲?」
と聞くぐらいなんですから傍から聞けば余程なんでしょうね;;
(といっても当時は今よりも露骨な言葉だったからってのもあるんでしょうが)

で、実際自分の歌詞を読み返してみると・・・
なるほど確かに大抵の詞には「俺(あるいは僕)」に対して「君」がいて、
しかもその「君」に対して語りかけるようだ、と。
まぁこれじゃぁラブソングのように見えなくもないですよね。
つーか彼女ができてからはやっぱりラブソングのようなモノも多くなったし。


でも俺が詞を書くときに意識していることは、実は結構違ったりもします。
特に最近の詞は、「君」という対象に向けたものではなく、
あくまで自己の内情を多く歌ったものだからです。
スパイラル”では自己の世界観と生き方を、
fog”では自己と他者との関係を、
感情ヒコウ”では「自己の世界」と「現実」との関係を、中心に描いたものです。
それを伝える媒体・代表例として「君」やその他のモノが出てくるだけなんです。

俺は音楽を含め、芸術というものは感情(esp. リビドー)の吐露だと思っています。
そして同時に、芸術家というものは基本的にみなエゴイストだ、とも。
つまり社会で封じられたエゴイスティックな欲望・欲求の捌け口が芸術なのです。
(コレを語りだすとさらに長くなるので省略。読みたい方いたらコメントください)

それはソングライターの端くれでもある自分にも言えることだと思います。
俺が詞を書く上で中心を占める考えは、「誰かに伝えること」ではなく、
あくまで「自己の中に抑えられた感情の吐露をいかにするか」なのです。
・・・ね、実にエゴイスティックでしょ?
さらにいえば、その「感情」はどちらかといえば「愛」というより「性欲(リビドー)」に近い。
上に挙げた3つの詞はそれが顕著に出ていると思います。
互いの心によって紡ぎだされる「愛」ではなく、
あくまで自分を中心に一方的に外へと出される「性欲(リビドー)」が。
(それを「愛」と呼んでしまえばそれまでですが、
 感情としては事実微妙な差異がある、と俺は考えます。コレも省略)


だから別に「愛」を歌ってるワケではないんですよ。
たしかに”君と二人”のように自分の愛する人のために書いた曲もありますが、
俺の曲のほとんどは「エゴイスティックな感情」から生まれた一方通行なモノなのです。

ただ、他のジャンルの歌詞も書くべきだ、とは思います。
まぁどうやらまだそれは成功していないようなんですが;;
とにかく、参考になるコメントではありました。
遅ればせながら、ありがとうございますm(_ _)m
こういう意見はホント大歓迎なので、今後もみなさんぜひぜひお願いしますネ!

by seamile_rivercape | 2006-02-18 23:59 | Diary  

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